中庸とは③中立のことではない

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私がセッションでもたびたび口にする中庸という言葉ですが、今回はその中でも一番誤解されやすいポイントを、まとめて整理します。

それは、中庸と中立の違いです。

ここが誤解されたままだと、中庸という感覚そのものが、いつまでも掴めません。

逆に、ここが腑に落ちると、中庸の感覚に近づくとも言えます。

中庸は中立のことではない

中立は、ニュートラル、フラットといった言葉で表されます。

どちらかに偏らない真ん中の視点のことですね。

たとえば、人間関係のトラブルで

「どちらが正しいか」

「どちらが悪いか」

という二元論に巻き込まれている状態から、一歩抜け出し、

「ああ、良いも悪いもないんだね」

「どちらにも立場があって、言い分があるんだね」

という見方に立つこと。

これが中立です。

起きている出来事を、ありのままニュートラルに捉えられる段階。

とても大切な視点です。

でも、これは中庸ではありません。

中立は、中庸へ向かうための通過点に過ぎないのです。

ここをゴールだと思い込むと、中庸の感覚は永久に分からなくなってしまいます。

セッションをしていて感じるのは、この「中立状態」で止まってしまう人が本当に多い、ということです。

中立が必要になる場面

私のところに来る依頼者様は、例外なく人間関係の課題を抱えていらっしゃいます。

そこには大きく二つの段階があります。

一つは、二元論の段階です。

「相手が悪い」

「自分が悪い」

どちらかを責めることで、物事を理解しようとしている状態です。

この段階にいる方が、まず目指すべきは中立です。

「どちらが悪いかという話だけではないよね」

「今の問題は、双方の言い分があって起きているんだね」

という視点に立てること。

ここまで来られたなら、それは大きな変化です。

中庸になるカギ

では、中立に立てた人が、次に中庸へ進むにはどうすればよいのか。

ここが今回の本題です。

中庸のカギは、

自分が振り回されない主体性を持ちながら、相手の立場や気持ちを理解し、関わる全員が調和へ向かう状態を、自らの意志で目指していくこと

です。

理解するとは、「共感する」ということではありません。

言葉のままだと分かりにくいと思いますので、もう少し短く言い直します。

中庸とは、

1.自分の意図と意思を持ち、自分の責任で判断すること(自分軸)

2.その上で、相手や社会のために思いやりを持って行動すること(他人軸)

この二つが同時に成立している状態です。

自分の軸と他人の軸。

このどちらにも偏らず、調和がとれていること。

それが中庸の状態です。

自分軸がゴールだと思うと成長が止まる

この話をすると、依頼者様から「え?」と怪訝な顔をされることがあります。

なぜなら、こう思ってしまうからです。

「今まで他人にコントロールされてきた」

「やっと自分の軸で生き始めたのに」

「また他人のために生きろと言うの?」

確かに、他人に振り回されたり苛まされてきた人生から、自分主体へ戻ることはとても大切です。

人生という船を、他人にコントロールされるのではなく、自分で舵を切り始める。

すなわち、自分の人生を生き始める。

ここを飛ばして中庸にはなれません。

ただ、ここをゴールと思った瞬間、精神性の成長は止まります。

本当に成熟した状態とは、

自分という軸がありながら

同時に、他人と調和するための行動も選べる

という在り方です。

主体性があるのに、何にも動じない。

自分軸でも他人軸でもなく、両方を統合した生き方。

それが精神的に成熟した状態であり、中庸の感覚が立ち上がった状態なのです。

中立だけでは争いは終わらない

中立という視点だけでは、争い事は終わりません。

国家間の大きな紛争から、家庭内の小さな衝突まで、中立は出発点にはなっても、調和の着地にはなり得ないのです。

中庸とは、

中立の目線ではなく、調和へ向かう目線に立つこと。

どうしたら歪みが少なく、全体が調和へ向かうか。

そこへ自ら主体的に向かっていくこと。

人類にとって一番大切なのは、この中庸の方向へ歩み続けることです。

終わりに

ぜひ、本当の中庸の状態を、自らの意志で目指してください。

あなた自身が調和へ向かうとき、あなたの周りもまた、あなたに影響されて調和へ向かっていきます。

そのような人が、ひとりでも増えることを願っています。

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