霊的真理に沿って動き始めた背景
私が霊的真理に沿って動き始めたのは2022年末です。
そこから約3年かけて観察し、いま段階で理解している内容を書いておきます。
いまのスピリチュアル業界にある構造
現在のスピリチュアル業界は、「極端を極端で殴る」のような状態にあります。
それが「フワスピ」と「現実派スピ」という二極をぶつけるという構造です。
そこには、創造主のある図らいがあります。
「フワスピ」とは何か
フワスピとはフワフワスピリチュアルのことです。
「引き寄せの法則ビジネス」や「ツインレイビジネス」に代表されるような潮流を指します。
今の業界は、かなりこの「フワスピ」方向へ偏っています。
その根底に共通しているマインドは「現世ご利益スピリチュアル」です。
それは、「波動が上がれば、魂が成長すれば、願望実現や現世ご利益が叶う」という概念です。
フワスピにはフワスピのメリットとデメリットがありますが、総じて「依存させる」という大きな偏りの構造があります。
この偏りが続けば、必ず別の形で帳尻を合わせられる。それが霊的構造です。
その偏りの調整が行われる段階に、いま業界全体が来ています。
「現実派スピ」とは何か
「目には目を、歯には歯を」という言葉があります。
一方に偏りすぎた「フワスピ」に対しては、反対側の極端が入ることでマクロの視点では中庸へ戻されることとなります。
そこで、反対側の極端として調整する役割を果たすのが、「現実派スピリチュアル」です。
現実派スピリチュアルは、フワスピとはほぼ真逆の立ち位置の思想を持つと言っても過言ではありません。
そしてそれは、「フワスピ」に傾倒していた人を、ある一定のラインまでは正しい魂の成長ルートへと戻す力があります。
しかしそれも行き過ぎれば「依存」そして「極端」となります。
そして、中庸からは遠ざかるというリスクがあります。
表裏一体だからこそ、自分の頭で考える
このように、物事は「これが絶対的に正しい」というものは存在しません。
メリットとデメリットは表裏一体だということです。
これはすべてにおいて共通する普遍的なルールです。
だからこそ、正しそうな何かを妄信してはならない、聖杯にしがみついてはならない。
自分の頭で考えなさいよ、というのが霊的真理です。
創造主の意図
極端同士がぶつかる→極端にフワスピに偏っていた人の『魂の振り子』を再び動き出す
それが創造主の意図です。
そして、その結果、全体として中庸へ補正されていくことです。
ただし、極端と極端がぶつかれば、局所では戦いが起きます。
人は必ず「自分の思想が正しい」と主張し合い、対立し合う本能があるからです。
そして、一部ではそのムーブメントが加速し、「極端な情報を妄信する人」によってカルト化する流れが発生します。
しかしそれもまた、創造主の意図であり、必要な動きの一つです。
そのように極端に走ってくれないと、それぞれの「極端」がなすべきマクロ的な役割が果たされないからです。
二極の極端に働く「外的コントロール」
極端に振れている最中の人は、自分の「極端さ」に気が付くことはできません。
それは、魂の振り子が止まったままの状態です。
「フワスピ」あるいは「現実派スピ」その二極の状態で思考停止している人が、再び振り子を動き出させ(自分の頭で考え始め)、中庸へと運ぶ。
このブログがそのきっかけとなれば幸いです。
ここではその「極端さ」について「外的コントロール」という概念を扱います。
フワスピにも、現実派スピにも、それぞれ外的なエネルギーの干渉(外的コントロール)がかかっています。
「フワスピ」の極端には、サイキック・コントロールが、
「現実主義スピリチュアル」の極端には、ワーム型コントロールが、
それぞれエネルギー干渉として入っています。
この二極の極端がぶつかることで、マクロ的には中庸へ戻されていくのです。
この構造全体を見ると、創造主のプランは壮大だと言わざるを得ません。
このブログで伝えたいこと
このブログでは、あらゆる「外的コントロール」と「自己執着」をほどき、本当の中庸へと戻るための情報を置いておきたいと思います。
ここでいう中庸とは、「これが正解ですよ」という聖杯がそもそもないものです。
そのことを受け入れてもなお、明るく前を向いて生きることをやめない。
物事にすがらず、驕らず、懸命に生きる心の在り方、と言えるかもしれません。
それは、願望実現のためではありません。
また、中庸とは、皆が同じ「経典」のようなものを読めば到達できるような単純なものでもありません。
ある人には当てはまるものが、別の人には当てはまらない。
そういうことは当たり前に起きます。
真理や法はひとつです。
でもそれは、「あるひとつの正しい思想」に全員が従えば救われる、という単純なお話ではないのです。
聖杯を探して楽になりたい、早く人生報われたい。
権威ある人に「あなたは救われます」と言ってもらいたい。
そういう分かりやすい答えや、すがれる正しさを求めている人には、このブログは合わないと思います。
己の内側にある執着を終わらせ、正気に戻ることを思い出させる場として、ここに残しておきたいと思います。

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