これまでにも書いてきた中庸を改めてまとめます
私はこれまで過去のブログでも中庸について触れてきました。
今回は改めて、できるだけ難しくならないよう、その概念を一度まとめ直したいと思います。
中庸とは、古今東西、時代や場所に問わず語られていることからも、普遍的な霊的概念であることが分かります。
人類が生き延びてきた中で、何度も見出され、繰り返し語り直されてきたものです。
中庸=最も違和感のない感覚
西洋の哲学者アリストテレスは中庸を「Golden Mean」と表現したとされています。

Golden Meanとは、黄金比。
つまり最も違和感のない、美しいバランスを指す言葉です。
それは、人が「一番しっくりくる」「過不足がない」と、感覚で感じられる状態。
言い換えるなら「調和」です。
ただし、ここで最初に押さえておくべき点があります。
中庸は、「これが中庸ですよ」という単純な正解が一つだけ置かれている概念ではありません。
中庸は「正解が一つ」の概念ではない
ここで大事なのは、黄金比や調和は、固定された一点ではないということです。
時代が変わり、場所が変わり、状況が変われば、人々が調和と感じるものも変わっていきます。
つまり中庸とは、普遍的でありながら、諸行無常で形のないものです。
普遍的なのに、形は常に変わる。
この一見矛盾した性質こそが、中庸の難しさであり、本質です。
中庸には「バランス感覚」と「センス」が要る
中庸が形のないものである以上、何をもって中庸とみなすかは、外から与えられる答えでは決まりません。
そこには、バランス感覚が求められます。
もっと正確に言うなら、その人のセンスが問われます。
私たち人間ができることは一つしかありません。
「今この状況における調和とは何か」
それを感じ取り、考え、違和感があれば改善し続ける。
そのためのセンスを磨くこと。
そのために魂が地球に生まれ、生きていると言っても過言ではありません。
中庸は「到達すべきある一点の答え」ではなく、調和とは何かを問い続けるその過程の中で、心の在り方として自然に立ち上がってくるものです。
ここでさらに大切なのは、中庸は「違和感のないバランス」という感覚である以上、それが「常識」とは別物だということです。
中庸=常識ではない
常識とは、その社会の多数派が「そういうものだ」として採用している慣習です。
ただし、常識がいつも「違和感のないバランス」を指しているとは限りません。
むしろ常識というものは、「本当は違和感があるのに、皆がそう言うから黙って従う」という暗黙の了解によって維持されていることも多いものです。
常識はしばしば利害や空気によって作られます。
誰かに都合の良い形が、正しさを装って広まり、それに反対しにくい社会の雰囲気ができる。
その結果、違和感そのものに気付かず麻痺してしまう。
そんな人は、とても多いものです。
ですから中庸とは、常識やみせかけの調和では、成立しないものなのです。
そうではなく、「今ここで本当に違和感の少ないバランスとは何か?」を見抜く力、その感覚を養わなくては、わからないものなのです。
「調和の押し付け」では成立しない
また、中庸は「私はこれが調和だと思う」という自己申告だけでは成立しません。
本人がどれだけ調和だと言い張っても、そこに無理、依存、誤魔化し、誰かの犠牲といった「隠れた歪み」が混じっているなら、それは中庸とは言えないのです。
中庸とは、現実の中でひずみなく成立し続けられるかどうか、で試されます。
時間をかけても崩れない形で保たれているか。
関わる人の尊厳を踏みにじってはいないか。
そこまで含めて検証されるものです。
だから中庸は、「自分にとってはこれが調和だから」という言葉で何でも正当化できる免罪符ではありません。
むしろ本当に中庸かどうかは、誤魔化しがきかないのです。
その生き方がひずみなく成立し、本人と周囲の現実の中で調和を保ち続けるならば。
時間差はあっても社会の側が後からそれを受け取り、常識が更新されていくということも起き得ます。
しかしもしもそこにひずみがあれば、どれだけ声高に語っても中庸として定着しません。
ここに、中庸のシビアさがあるのです。
中庸とは「常に更新される感性」
今回の記事の結論はこちらです。
中庸とは古今東西、普遍的な霊的概念でありながら、その姿は常に更新される諸行無常のもの。
つまり、形のない普遍性であるということです。
だから人間は、中庸という「聖杯」を、わが物として手に入れることはできません。
できるのは中庸を感じ取るためのセンスを磨き続けることだけです。
それが、生きる意味であり、魂を成長させていくということと同義になります。
このブログは、「いまあなたが人生で見出すべき調和とは何か」を見つけるためのブログです。
そのために、調和の感覚を鈍らせる外的コントロールや、執着の構造をほどく記事を置いておきます。
ある一つの正解にすがるためではなく、自分の感性を常に正しながら、人生を歩んでいってください。


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